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おまえどこ中?

最終学歴 オールフィクション

しっとりふわふわシフォンケーキ

「読書が好きな君の書く文章が読んでみたい。」

昔、とある人から言われたことがあった。そのことを考えているうちに、思考が飛躍していつのまにか自分の本質はどこに有るのだと思い、すごく思いつめたことがあった。

その人もよく読書をしていた人だったけれど、わたしとは読み方が違った。
読書が好きなのかと尋ねたとき、その人は「読むのが好きというよりは、自分の中にない経験や事象が知識として入ってくることがたまらなく楽しい。知識をつけるのが好きだ。」と、言っていた。さらに、「いろんな作風の文章を読んで、自分の文章力を高めたい。」
意識が高い人だなと、ただ思った。わたしとその人は価値観が合わないとさえ思った。
わたしは知識をつけることは大事だとは思うけれども、楽しいとは思ったことはあまりない。むしろわたしにとっての読書は、知識をつける為の難しいお勉強や、教養を身につける為の厳しい習い事などのつらい現実から逃げる唯一の手段・方法だったから。ただただ無心に、吸い込まれるように、物語に埋没するのが好きだ。

ある時、その人にお勧めの小説を教えてほしいといわれて何冊かお気に入りを勧めた。後日「感想を言い合いたい」と電話がかかってきた。わたしはとんでもなく困った。感想なんて考えたこともなかったから。そういえば、小学生中学生の頃の夏休みの宿題に必ずある読書感想文は、いつも後回しだった。提出しない時もあったかもしれない。本を読んでも感想などはあまり考えず、文章や言葉が訴えてくるものについて思考を巡らせ、何日も何日もその小説のことについて考えたり、自らの経験と照らし合わせて共感したり、理解できないなあなどと思うのだ。学校に行っていても、電車に乗っていても、課題をやっていても、ご飯を食べていても、眠る時でさえ考えてしまう。そういう小説が好きです。何回でも読みたくさせる小説。なにをしてても頭の隅に存在している小説。
でもこれでは感想にならない。わたしはこの小説のどこが好きなんだろう?どこをいいと思ってお勧めしたんだろう?考えれば考えるほど悩み、やがて閉口した。その人は一方的に、何行目のここの言い回しがとても良い、やら、ここの表現は自分の中になかった、だの、いつまでもうるさい。

でもわたしはこういう風に、ここの言い回しが表現がなど、考えた事が恥ずかしながらなかった。本屋で目についた本を買った時のときめき、帰り道の早く読みたくてうずうずする感じ、本を開くまでの躊躇い、話が進んでいくときの言葉の渦に飲み込まれていく感じ、読んだ後の豊満な余韻、そういうのならいくらでも話せるのに。わたしはもしかして小説を読むのが下手なのだろうか。それとも単純に考えることをしないアホなのだろうか。本好きなんて烏滸がましい。あの人は何項の何行目が良いって、この言葉遣いが素晴らしいって、こんなに読み込んでる。わたしは全体のぼんやりと色のついた空気しか覚えていない。
小説だけじゃない、漫画もアニメも音楽も、好きな人も仲のいい友達だって感想や好きなところを求められたらたぶん一つも言えない。わたしってなんて虚しいにんげんなんだろう。空っぽだ。嫌いなもののどこが嫌だ、だったらいくらでも細かく言える気がする。なんて下品な人間なんだろう。
好きなものの、好きなところが漠然としすぎて言葉にできない。
なんて虚しいにんげんなんだろう。





平成26年11月30日 tumbler投稿

他人と自分を比較して、兎に角周りより自分は異常なほど劣っているのではないかと気になって気になって仕方がなかった頃の文章です。
当時、他人からの評価がそれはそれは気になって何をするにも怯えて自信がなかったように思えます。まあ今も自信がないのには変わりありませんが、自分はいい意味でも悪い意味でも自分でしかないし、他人と比べてヘコむような覚悟のない状態で何か行動するなら死ねばいいと今は思っているので、そこまで他人と比較してヘコむなんてことはしなくなりました。
てゆーか人から面と向かって批判されたわけじゃないのに、勝手に自分と他人を比べて批判された気になってヘコむなって話ですね!ガハハ!
鑑賞物は鑑賞する人間の数だけ受け止め方があるし、楽しみ方があるのだと今は思えます。楽しみ方に正解なんてないってなんでわからなかったんだろう……
今でも感想を考えたり述べたりすることは苦手だけれど、これは自分が感じていることを言語化するだけの技量と語彙がないだけ。勉強不足なだけでした。なんでこんなに仰々しく考えているんだ1年前の自分は〜〜〜