おまえどこ中?

最終学歴 オールフィクション

缶のコンポタ、あるいはパフェの底

喫茶店、注文したのはアールグレイのホット。かならず、ミルクで。
紅茶にミルクを落とす時、やわらかな渦を描く様子はなんと形容したらよいのだろう。とにかく、わたしはそれを見るのが好き。うすい緋色の液体にミルクの混じり気のないホワイトは、とても、とても美しい。
たまにだけど、珈琲を頼むときも勿論ある。珈琲の場合には、カップが持ちづらければ持ちづらいほどよい。スプーンで反時計回りに回せばまろやかになり、時計回りに回せば尖った味になる。これは父から教わった。原理はわからないのだけど、きっと地球の自転が関係しているのではないだろうか、と私は踏んでいる。世の中にはわからないことばっかりで、もどかしい。
 
わたしはいつも、店内の様子がよく見える端の席につく。他のお客さんを観察するために。
窓際の席に座るカップルが別れ話をしているようで、女性ははらはらと涙を流し、向いの男性の顔など見ようともせず、ひたすらにガラスの向こうの雨を見つめている。口元はきつく閉じたまま、瞬きだけが空気を揺らす。男性は沈黙を交えてポロポロと言葉を吐いている。その音は店内でもたっと流れるジャズにかき消されてしまいそうで、二人の空気はひたすらに重かった。
カウンターに座る老夫婦は一言も会話せず、それぞれの前に置かれた飲み物を口にしながら、老父は新聞を、老婆は文庫本を手にしている。会話はせずとも、心地よさそうな空間がそこには広がっていて、無言の関係でもこうも違うのかと複雑な気持ちになった。
4人掛けのテーブルには小学生くらいの女の子とその弟であろう男の子、そして母親。女の子の前にはフルーツがたくさんのったプリン・ア・ラ・モード、男の子の前には大きな半月切りの瑞瑞しいメロン、母親の前にはふわふわに立てられたホイップクリームが揺蕩うウインナーコーヒー。男の子が覚束ない手つきでフォークを使いながらメロンを食べようとするのを、女の子は横目でソワソワしながら見ている。弟が気になる優しいお姉さんである。それをニコニコ見つめる母親。ウインナーコーヒーのホイップはいささか溶けてきているようで、カップのフチからコーヒーとホイップが混ざった液体が今にも溢れそうである。
 
喫茶店の中はひと続きのワンフロアであるが、彼らの間には壁があるかの如くそれぞれの空気、それぞれの時間が流れていた。喫茶店は優しくもなく、冷たくもなく、近すぎず、遠すぎず、わたしたちを受け入れている。
 
ついさっき、そろそろ4年目になる交際相手の部屋へ遊びに行った。そういう雰囲気になったのでキスしてもつれながらベッドへ落ちたら、見慣れない薄い黒のストッキングが掛け布団の間から出てきた。生々しくって吐き気がした。でもなんか面白くなって笑ってしまった。交際相手もテンションを合わせて一緒に笑ってきたのでムカついて、部屋に来る前に飲んでた缶のコンポタの残りをかけてやった。残りと言ってもそんなに入ってはいなかった。黄色の液体数滴と一粒のコーンがおいしい匂いをさせて、交際相手の髪をつたっていく。量が少なくて非常に情けない。スローモーションに見えた。私こんなに大胆に浮気されたことないよ〜って、思った。
ストッキングなんてみんな履くけれど、私はOLみたいな黒いストッキングなど履かないので、別の女のものだとすぐに推測できた。アホらしくって涙も出なかった。交際相手は逃げ口上を叩いていたけれど、聞いたって無駄なのではだけた胸元を正して、缶を握ったまま部屋を出た。追いかけてくるかと思ったけど、そんなことはなくてもっと笑えた。この後に及んでまだ期待してるのか自分は。バーカ。缶の中でコーンがコロコロと転がっているのを薄っすらと感じた。
 
そういったわけで今ここにいるのだけど、紅茶なんかで気分が静まる訳がなく、却って先ほどよりも怒りの感情がごうごうと燃えていく気がした。今飲んでいるのは紅茶なんて優雅なものではなく、ガソリンだったのかもしれない。事が起きた時、どうしてすぐに正しい反応ができないのだろう。あの場合笑うのではなく、怒ったり、泣いたりするものである気がするのだけれど、そういう場合にうまく正しい対応ができた事がない。
 
パフェ食べたい
 
無意識に口からこぼれていた。えっ?自分ってパフェ食べたいの?ちょっとびっくりしたけど、きっと食べたいのだろう。深く考えるのはやめた。チリン。すみません、パフェ1つ。一番高くておいしいやつ。
こういう時は景気よくいく方がいい。
 
パフェが来るまで煙草を吸おう。
火をつけて一口吸うと、甘いような苦いような辛いようなわけのわからない味がする。人生みたいだ。
「お酒もほどほど煙草は吸わず一人を一途に好いて仕事も真面目で親孝行な人」はもう面倒に思えてきた。人からよく思われたくて、だれが作ったかもわからない世間一般のいい子像を守って生きてきたけど、実際の自分は別にいい子でも何でもない。ただ幼いころに周りからいい子というイメージをでっちあげられてから、自分に期待してくれている人を裏切らないように慎重に行動してきた。言い換えれば縛られてきた。
交際相手に煙草を吸っていることがバレたとき、無垢な子供がいけないことに手を染めて汚れていく様をみているみたいだ、と言われた。わたしは無垢でもなければ、いけない事をしてもいない。みんなわたしに対してどんなイメージを持っているのかよくわからないけど、そんなイメージなんかぶっ壊してやりたい。あなたの中のわたしじゃなくて、わたしの中のわたしをみてよ。
 
パフェおまちど
 
アイスクリームとたくさんのホイップ、プリンと果物とフルーツソース。こういうの。こういうのが食べたかった。これは立派な贅沢。身に余る贅沢。いただきます。煙草が人生なら、パフェはユートピア
 
喫茶店はそれぞれの空気を許してくれるからいい。いい子じゃないわたしでも、誰も何も言わない。煙草を吸いながらパフェを食べたって何も言われない。涙を流して歯を食いしばったって何も言われない。
 

缶のコンポタの底に残った一粒のコーンがもったいなくて、逆さにした缶を口に押し当てて底をぽこぽこ叩いたり、パフェの底に残ったほんのちょっとのフルーツソースまで食べたくて、パフェの器と形があっていないスプーンでいつまでも熱心にすくったり。そんな、あと少しがもどかしくて頑張るのだけど結局あきらめてしまう、みたいな人生だ。缶のコンポタ、あるいはパフェの底。いくら話し合っても、体を重ねても、時を共に過ごしても、所詮他人。わかりあうことなどない。どんなに叩いても、どんなにすくっても、最後の一粒一滴はもどかしさと寂しさと不条理を抱いて、底に居続けるのだ。